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大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)334号 判決 1973年4月25日

原告(兼金森健士承継人)

金森タツエ

外五名

右六名訴訟代理人

岩田喜好

外一名

被告

右代表者

田中伊三次

右訴訟代理人

笠松義賢

外三名

主文

一  被告は、原告金森タツエに対し金一五〇万円、右タツエを除くその余の原告五名に対し、それぞれ金四〇万円および右各金員に対する昭和四五年二月一三日から完済まで年五分の金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行宣言不相当。右宣言を付する場合仮執行免脱宣言を求める。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事実の経過

(一) 金森健士(以下健士という)は、昭和一五年一二月初め頃、大阪市大正区泉尾町所在の前岡製綱株式会社(以下前岡製綱という)に採用され、昭和一六年一月初め頃、同会社の子会社である朝鮮釜山府瀛仙町(通称牧之島)一八八七番地所在の日本帆布合名会社(以下日本帆布という)釜山帆布工場において職工監督として就任し、妻原告タツエ(当時二四才)、長男原告潔(当時九才)、次男原告勇(当時五才)、次女原告美喜枝(当時一才未満)とともに同工場通用門際の事務室に隣接する社宅に居住していたところ、たまたま昭和一六年一〇月二日午後九時四五分過ぎ、同工場と同一構内に在る同じく前岡製綱の子会社である朝鮮製綱株式会社(以下朝鮮製綱という)の工場(当夜夜勤者がいなかつた)の粗紡部付近から出火し、朝鮮製綱の工場だけが全焼するに至つた(以下これを本件火災という)。

(二) 右火災後健士は釜山警察署に逮捕され、後記2(二)(2)(ロ)のような経緯で同署において激しく追及を受けた結果、無実であるにもかかわらず、自分が放火した旨虚偽の自白をするに至り、ついで釜山地方法院検事局検事に対しても同様の自白をし、同年一二月一〇日同検事局検事から同地方法院に対し朝鮮製綱工場の建造物放火の公訴事実をもつて起訴され、同法院予審判事松田伝治の取調を受けた際にも、警察、検事局、予審がすべて一体のものと思つて前記の自白を維持した後公判に付され、昭和一七年六月三〇日同法院において右公訴事実につき有罪の判決を受けたので即日大邱覆審法院に控訴の申立をし、公訴事実を争つたが、同年八月二一日同法院において「被告人は、日本帆布工場長小路梅市(以下小路という)と平素折合が悪く、被告人と小西由之助の両名が取扱つていた職工出勤簿を、坪金人事係長に取扱わせることにしたのも、小路がその妾の女工監督金月貴らの策動により独断でしたものと邪推して、小路に反感を抱き、かつ昭和一六年一〇月二日午後九時三〇分頃、工場事務室内において職工運動会の準備をしていたのを小路から注意されたのに憤慨し、小路を失職させて復讐しようと決意し、同日午後九時四五分頃、朝鮮製綱工場内の製綱原料である大麻仕掛品に所携のマッチで点火して、同工場二棟およびこれに隣接する職工等の現在する日本帆布釜山工場の板壁の一部を焼燬して放火した」という理由で懲役一五年に処せられた(以下これを本件第二審判決という)ので、即日京城高等法院に上告の申立をしたが、同年一〇月二六日上告を棄却された(以下これを本件上告審判決という)結果、本件第二審判決が確定し、即日刑の執行を受け始め、大邱、京城、大田、釜山各刑務所を転々とし、終戦後福岡、熊本各刑務所に移監され、昭和二二年一一月二四日仮釈放により熊本刑務所を出所し、昭和三二年一〇月二五日刑期満了によりその刑の執行を受け終つた。

(三) 健士は右仮釈放後、関係機関に対し、自己の寃罪を訴え続け、弁護士岩田喜好の協力を得て調査の結果、健士に対する有罪判決確定後の昭和一八年一二月頃、中国人于文柱が国防保安法違反等で釜山憲兵隊に検挙され、長谷川検事が取調べに当つたところ于文柱の自白する放火の中に、本件朝鮮製綱工場に対する放火の事実があり、捜査のうえ、この事実を含め于文柱を釜山地方法院に起訴して予審を請求し前に健士の予審の取調に当つた同地方法院予審判事松田伝治が、本件放火の事実を含め有罪の予審終結決定をして、同地方法院の公判に付したが、終戦のためその後の処理が不明であるという事実が判明した。

(四) そこで同弁護士は、昭和四二年二月二八日最高裁判所から大阪高等裁判所に再審請求についての管轄指定を受けたうえ、同年三月一五日、同裁判所に再審請求をし、同裁判所第四刑事部において、昭和四四年六月二八日、その請求を理由ありとして再審開始決定がなされ、右決定は同年七月二日確定した。ついで同裁判所は再審請求について審理をしたうえ昭和四五年一月二八日、健士に対し、本件放火の公訴事実につき無罪判決の言渡しをし、同年二月一二日その判決が確定した(以下これを本件再審判決という)。

2  被告の不法行為

健士および原告タツエは被告国の公権力の行使に当る判事数名の共同過失によつて違法に後記の損害を加えられた。即ち、

(一) 本件第二審判決は、大邱覆審法院刑事第一部を構成する裁判長朝鮮総督府判事安田重雄、同判事塚本富士男、および同判事岡村龍鎬の三名によつて合議され言渡されたものである。同法院および各判事は朝鮮総督府裁判所令によつて定められた裁判所であり裁判官であるが、朝鮮の独立を承認した現在においても同法院が日本の統治権に基づく日本の通常裁判所であり、右各判事は、日本の統治権に基づく司法権の行使に当る公務員であり、本件第二審判決は右各判事らがその職務として行つた共同行為であるから、日本の司法権の行使にほかならない。したがつて右判決は国家賠償法第一条の「国の公権力の行使に当る公務員の行為」に該当する。

本件上告審判決を担当した判事の氏名は現在明白にすることはできないが、朝鮮総督府判事数名の合議によつてなされたものであることが法令上明白であるから、右判決は前同様、国家賠償法第一条の「国の公権力の行使に当る公務員の行為」に該当する。

(二) 本件第二審判決の違法性と過失

(1)(イ) 本件第二審判決当時存在した証拠は、犯行の動機に関するものとして健士の妻である原告タツエの「事件当日健士と夫婦喧嘩をした」旨の予審判事に対する供述調書、および関係人の予審判事に対する供述調書ならびに捜査官による実況見分調書、予審判事の検証調書、日本帆布の女子工員二名ないし四名の「犯人の後姿が健士によく似ていた」旨の捜査官および予審判事に対する各供述調書、健士の捜査官および予審判事に対する犯行の動機、顛末についての自白録取調書、

第一審公判調書中の健士の犯行の動機の全部または一部についての供述であると考えられる。

(ロ) そして公訴事実につき有罪とするために採用した証拠は、健士の第一審公判廷における犯行の動機の全部または一部についての供述(犯行それ自体については否認)、健士の予審判事に対する犯行の動機および放火の顛末についての自白調書、日本帆布の韓国人の女子工員二名ないし四名の「犯人の後姿がよく似ていた」旨の供述が記載された証人尋問調書であることに間違いはなく、場合によつて訴訟関係人が異議を述べなかつたとすれば右のほかに、健士の警察官、検事に対する自白調書、および右女子工員らの捜査機関に対する供述調書も有罪認定の証拠として供されていたことが考えられるが、いずれにしても結局健士の自白および女子工員らの供述が有罪認定の決め手の証拠とされていた。しかしながら次に述べるとおり右各証拠の信用性は極めて薄弱であつた。

(2) 証拠の信用性

(イ) 女子工員らの供述の信用性

前記女子工員らの目撃状況は、「事件当夜、正門を入つた構内中央の朝鮮製綱工場の入口の反対側にある製品倉庫の前あたりに立つていたとき、その朝鮮製綱の入口から中へ入らうとする国民服を着た男の人の後姿を見た。その後姿が健士に似ていたので、健士は今時分なんであんなところに入るんだろうかと思つた。」というのである。ところがその女子工員らは当時一二才ないし一八才の子供であり、しかもその時刻は昭和一六年一〇月二日午後九時四五分頃であつて、朝鮮製綱の工場は夜間作業をしておらず殆ど消灯し、同一構内の日本帆布の工場と両工場共用の事務所のみが点灯していたに過ぎないため充分な照明がなく、極めて目撃現認し難い状態であつたから、その証言の信用性は極めて薄弱なものであつた。

(ロ) 健士の自白の信用性

釜山警察署の警察官は、当初朝鮮製綱、前岡製綱両会社の幹部らの保険金詐欺を目的とする放火として取調を開始し、健士も、会社幹部からの指示で放火したとの想定のもとに取調を受け後手に縛られて天井につり上げられる等の拷問を受けたが、数十日を経ても証拠があがらないため、前記女子工員らの供述を根拠として厳しく追及された結果、健士において、小路に対する恨みの放火をした旨の虚偽の自白をするに至つたものであり、検事局、予審も警察と一体のものと思つて警察での自白を維持したのである。

ところで右自白にもとづく本件公訴事実の放火の動機とされているのは、前記1(二)記載の本件第二審判決における認定事実のとおりである。しかしながら、健士が小路と折合が悪く同人に反感を抱いていた事実がないのみならず、小路の健士に対して与えた注意も強い調子ではなく、健士において仮に気にさわることがあつたとしても放火に結びつける動機としては極めて薄弱であり、また小路を失脚させる目的から考えるならば、放火という手段は著しく不合理で矛盾に満ちたものである。

即ち、本件出火点は、朝鮮製綱の建物のうち日本帆布に最も遠い個所であり、かつ朝鮮製綱の工場建物は厚さ約三〇センチメートル、高さ四、五メートルもある煉瓦壁で囲繞され、日本帆布の工場建物、事務所、社宅とは右の煉瓦壁を隔てているので、類焼のおそれは殆んどなく、現に、本件火災は朝鮮製綱の工場建物内にあつた油のドラム缶が多量に爆発してその火勢が強く同会社工場建物は周囲の煉瓦壁のみを残して全焼したにもかかわらず、日本帆布の工場建物は板壁のごく一部が燻焼した程度であり、その事務所、社宅も全く類焼を免れたのである。したがつて、日本帆布の工場長ではあつたが、朝鮮製綱には関係のない小路を失脚させる目的からいえば、日本帆布に類焼する危険の殆んどない朝鮮製綱の工場、しかも日本帆布に最も遠い地点に放火することは、甚だ不適当かつ不合理であり、仮りに火勢が煉瓦壁を越えて日本帆布工場に及ぶとすれば、同工場はもち論、事務所及びこれと棟を同じくする健士、外数名の各家族の居住する社宅並びに独身社員の寮も焼失することとなり、しかも健士は家財持出など火災に対する準備を全然しておらず、出火の時刻には健士の家族は既に就寝しており、日本帆布では多数の女子工員らが作業中であつたことを考えると、この場合も前記小路を失脚させる目的からいえば放火の方法として甚だ不適当かつ不合理な方法といわざるを得ない。

以上、要するに健士の警察官、検事、予審判事に対する犯行の自白は真実性に乏しく信用性がなかつたといわねばならない。

(3) 本件第二審判決を担当した前記三名の裁判官は以上のとおり信用性の極めて薄弱な右健士の自白および女子工員らの供述について、これを慎重に検討せず有罪認定の決め手となつた証拠として採用したものであつて、右裁判官らはその職務を行うについて注意義務を怠つた過失があるといわざるをえない。

(三) 本件上告審判決の違法性と過失

上告審たる京城高等法院の裁判官数名は健士が本件第二審判決に対し上告して無罪を主張し、弁護人から現場検証を申請したにも拘らずこれを採用せず上告棄却の判決を宣告した。しかし本件第二審判決には前記のとおり重大かつ著しい事実の誤認があるのであつて、予審調書、公判調書を一読すればこれを容易に発見することができるのであり、したがつて右裁判官らは旧刑事訴訟法(大正一一年法律第七五号)四一四条を適用して本件第二審判決を破毀してこれを差戻すべき注意義務が存在したにも拘らずこれを尽さず、本件第二審判決の事実誤認を看過し、上告棄却の判決をし、本件第二審判決を確定させたのであつて、右裁判官らもまたその職務を行うについて注意義務を怠つた過失がある。

3  国家賠償法の適用

(一) 国家賠償法は昭和二二年一〇月二七日公布、即日施行されたが、同法附則六項には同法施行前の行為には同法の適用がない旨規定されている。

(二) 本件第二審判決および本件上告審判決の言渡日は、いずれも国家賠償法施行前である。しかし前記のとおり健士は本件上告審判決によつて確定された本件第二審判決により、懲役一五年の刑の執行を受け、昭和二二年一一月二五日に仮釈放されるまでその自由を剥奪され、昭和三二年一〇月二五日刑期満了によつてその刑の執行を受け終つたのであり、違法性を具有する右判決による刑の執行がなされた結果、健士の基本的人権ないし自由権が違法に侵害されている状態が同日まで存続していたのである。国家賠償法上の評価としての行為の範囲は民法上の不法行為の評価と同一に解されるべきであり、加害行為が一回的一時的な行為であつてもその当然の結果が継続する限り、加害行為は未だ終つたものとはいえない。したがつて本件についても国家賠償法の適用があるといわざるをえない。

4  損害

(一) 健士の損害

健士は昭和四五年三月一六日大阪高等裁判所において補償金二、二四四、〇〇〇円を支給する旨の刑事補償決定を受けた。しかしながら、健士は受刑中の苦痛はもち論のこと、昭和四五年一月二八日無罪判決の言渡を受けるまでの無念、不安等の精神的苦痛はまことに甚大なもので筆舌に尽し難いものであつたことは、次に述べるような仮釈放後の異様な行動をみればその心境の一端が如実に推察される。

即ち健士は仮釈放されて帰宅後、自宅付近の電柱等に自己の寃罪を訴えるビラを貼り、あるいは毎朝近所の氏神の境内で大空に向つて寃罪を叫んだり等していた。更には朝鮮総督府の判事、検事の経歴をもつ人々に宛てて寃罪を訴える手紙を発信し、関係各機関にも同様の手紙を送つていた。そして家庭の経済的苦境を省みず、ただ一途に無念の情を晴らすことに残された人生の全てを賭け、無罪判決言渡までの約三〇年間の長期にわたつて精神的苦痛と闘い続けていたのである。この精神的苦痛を慰謝する金額としては、前示刑事補償額のほかに少くとも金三〇〇万円をもつて相当とする。

(二) 原告タツエの損害

原告タツエは昭和八年四月一五日健士と結婚し、原告潔、同勇、同美喜枝をもうけたが、健士の本件寃罪により突如として夫との別居生活を余儀なくされ、そのうえ子供らを抱えて外地で生活を強いられ昭和一七年四月夫の身を案じつつ内地へ引揚げざるをえなくなり、それ以後女手一つの稼ぎで漸く一家の糊口を凌いでいたのであり、経済的困窮はもち論夫婦の長期の別離の苦痛はまことに甚大である。そのうえ健士の前記のような異常な行動により前科者であることを世間に知られ、一層心配、心労が募り再審で無罪判決の言渡を受け漸く苦難の期間に終止符が打たれるに至つたのである。それまでの精神的苦痛は想像に余りあり、これを慰謝する金額としては金五〇万円をもつて相当とする。

(三) 健士の損害の承継

(1) 健士は昭和四六年五月四日死亡した。

(2) 原告タツエは健士の妻であり、その余の原告らは健士の子であるから、原告タツエは健士の被告に対する金三〇〇万円の慰謝料請求権のうち三分の一にあたる金一〇〇万円を、その余の原告らは右金三〇〇万円のうち一五分の二にあたる金四〇万円ずつをそれぞれ相続した。

5  よつて原告らは被告に対し、国家賠償法による損害賠償請求権にもとづき請求の趣旨記載のとおりの金員ならびにこれに対する健士および原告タツエに対する不法行為後の日である昭和四五年一一月一三日以降完済まで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1(一)  請求原因1(一)中、原告主張の日に朝鮮製綱の工場から出火したことを認めその余の事実は不知。

(二)  同1(二)中、健士が警察官、検事および予審判事に対し自白するに至つた経緯、その内容が虚偽であることは不知。その余の事実を認める。

(三)  同1(三)の事実は不知。

(四)  同1(四)の事実を認める。ただし、再審における無罪判決が確定したのは昭和四五年二月一三日である。

2  同2の冒頭の事実を争う。

(一) 同2(一)中本件第二審判決、本件上告審判決をした判事の行為に国家賠償法の適用があるとの主張を争い、その余の事実を認める。

(二)(1)(イ) 同2(二)(1)(イ)中、第一審公判調書中の健士の供述は、本件放火の公訴事実のすべてかあるいは少くとも放火の実行行為またはその動機の自白であると考えられる。その余の事実を認める。ただし犯行の動機に関する関係人の予審判事に対する供述調書の中には、小路、坪金、小西のものも存在した。

(ロ) 同2(二)(1)(ロ)中、女子工員らの供述が有罪認定の決め手の証拠とされていたとの主張、および各証拠の信用性が極めて薄弱であつたとの主張を争う。

本件第二審において健士を有罪とするために用いた証拠は、右第一審公判調書中の健士の自白のほか、同人の自白をはじめ右関係人らの予審判事に対する各供述録取調書、捜査機関の実況見分調書、および予審判事の検証調書であつた。さらに健士が異議を述べなかつたとすれば、同人の捜査機関に対する自白調書および右関係人らの捜査機関に対する供述調書も有罪認定の証拠に供されたことも考えられる。

(2)(イ) 同2(二)(2)(イ)中、女子工員らの証言内容を認め、その余の事実は不知。女子工員らの証言の信用性が極めて薄弱なものであつたとの主張を争う。

于文柱と健士とは背後から見るかぎりでは酷似していたのであるから女子工員らの証言も相当迫真力があつたと考えられる。

(ロ) 同2(二)(2)(ロ)中、本件第二審判決が放火の動機として原告主張の事実を認定していたことを認め、その余の事実は不知。健士の自白が真実性が乏しく信用性がないとの主張を争う。

小路が健士から女工の出勤簿を取り上げ、他人にさせるようにしたことに関し、女工監督である健士が女工達の手前もあつて、小路をひどく恨むに至るというのはそれほど唐突なことではないし、このような背景のもとに小路から注意を受けたという些細なことも、性格または心理状態如何によつては充分犯行の導火線となりうべきものである。そして右動機についての健士の自白を裏付ける関係人に対する予審判事の尋問調書が存在したのであるから、この点についての原告の主張は失当である。また小路に対する恨みをすぐに実行に移すには、夜間作業のため多数の女工が働いていた日本帆布の建物に放火することは不可能であるため、隣りの朝鮮製綱の工場を点火場所に選ぶことは容易に想像され得るし、客観的にみてそれほど不自然ではない。また仮りに朝鮮製綱のみが焼けたにすぎない場合でも、その火災の原因は日本帆布の従業員か、あるいは同工場の構内に侵入するのを見過された外部の者か、そのどちらかの仕業によるということになり、いずれにしても工場長である小路の責任は免れないから、動機と放火場所との関連について、原告が主張するほどの不合理はない。

(3) 同2(二)(3)を否認する。

本件第二審判決に供された証拠としては、前記(1)(ロ)で述べた諸々の証拠中、健士の予審判事に対する詳細な自白調書が存在し、その自白内容も前記のとおり動機を含めて首肯しうるものであり、一方健士が公判廷で突然犯行を否認し、自白をひるがえした理由は、自白が拷問によるものではなく公判で宣誓して真実を述べれば自白を覆すことができると思つたためであるというのであるから、他に有力な反証がない以上自白調書の記載を信用し、公判廷での健士の供述を排斥した覆審法院の裁判官の事実認定は極めて合理的であり、その判断が経験則採証の法則を著しく逸脱したということはできない。

(三) 同2(三)を否認する。

3(一)  同3(一)を認める。

(二)  同3(二)の本件に国家賠償法の適用があるとの主張を争う。同法附則六項は、同法施行以前の行為が同法施行後の損害との間に因果関係をもつものであると否とにかかわりなく、同法施行以前の行為に基づく損害については同法によつてその賠償を請求することができない旨を明らかにしているものと解すべきである。本件第二審判決、本件上告審判決はいずれも同法施行以前の行為であり、同法施行後の健士に対する刑の執行は裁判官の判決とは別個の職分を有する公務員の行為によるものであるから、本件につき同法の適用はないといわざるをえない。

4(一)  同4(一)中健士が原告主張の金額の刑事補償決定を受けたことを認め、その余の事実は不知。

(二)  同4(二)の事実は不知。

(三)(1)  同4(三)(1)の事実を認める。

(2)  同4(三)(2)の事実は不知。

5  本件損害賠償請求権は、除斥期間の経過により消滅している。即ち本件第二審判決は昭和一七年八月二一日に、本件上告審判決は同年一〇月二六日にそれぞれ言渡されているから、民法七二四条後段により遅くとも本件上告審判決の時から二〇年を経過した昭和三七年一〇月二六日の満了により、原告らの被告に対する損害賠償請求権は消滅した。なお刑の執行は判決とは全く別個の職分を有する公務員の行為であり、判決を不法行為とする損害賠償請求の除斥期間の起算点に刑の執行の終了時点が基準となると解することはできない。

第三  証拠<省略>

理由

一事実の経過は次のとおりである。

1  <証拠>を総合すると請求原因1(一)の事実を認めることができ(ただし昭和一六年一〇月二日朝鮮製綱から出火したことは当事者間に争いがない)、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

2  請求原因1(二)の事実は、健士が警察官、検事および予審判事に対し自白するに至つた経緯、およびその内容が虚偽であることを除き当事者間に争いがない。

3  <証拠>を総合すると請求原因1(三)の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

4  請求原因1(四)の事実は当事者間に争いがない。ただし再審における無罪判決が確定したのは昭和四五年二月三日である(刑事訴訟法施行法二条、旧刑事訴訟法四一八条、八一条)

二被告の健士および原告タツエに対する不法行為の成否。

1  請求原因2(一)の事実は国家賠償法の適用の点を除き当事者間に争いがない。そして本件第二審判決および本件上告審判決は本件再審判決の確定によりいずれも客観的に違法であつたことが確定されたというべきであるから、以下において本件第二審判決および本件上告審判決に関与した裁判官の誤判についての過失の有無を判断する。

(一)  本件第二審判決に関与した裁判官の過失

本件第二審判決当時存在した証拠に関する請求原因2(二)(1)(イ)の事実中、第一審公判調書中の健士の供述内容の事実を除くその余の事実は当事者間に争いがない。<証拠>を総合すると、健士は、本件第一審公判廷において、本件放火の動機の全部、または一部について供述したが実行行為についてはこれを否認し、本件第二審公判廷においては、動機および実行行為を全部否認していたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。以上によれば結局本件第二審判決においては、請求原因2(二)(1)(イ)掲記の各証拠が有罪認定の証拠とされており(ただし旧刑事訴訟法三四三条一項により、健士およびその他の関係者の捜査官に対する供述調書(内容は予審判事に対する供述調書と同様と推認される)は、健士に異議がなかつた場合にだけ証拠とされたと考えられる)、いずれにしても健士の犯行の自白および女子工員らの犯人の後姿が健士によく似ていた旨の供述が裁判官の有罪認定の心証形成に強い役割を果したであろうことは否定できない。そこで以下において右各証拠の証拠価値について検討を加える。

(1) 犯人を目撃したという女子工員らは、予審の証人として「事件当夜、正門を入つた構内中央の朝鮮製綱工場の入口の反対側にある製品倉庫の前あたりに立つていたとき、その朝鮮製綱の入口から中へ入ろうとする国民服を着た男の人の後姿を見た。その後姿が健士に似ていたので、健士は今時分なんであんなところに入るんだろうかと思つた。」と供述していたことは当事者間に争いがない。しかし<証拠>によれば、右女子工員らが犯人を現認した場所は夜間薄暗かつたこと、予審判事松田伝治が女子工員らに健士を面割りさせたところ、健士だとははつきり断定できなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。右事実と、女子工員らが目撃したのは犯人の後姿であるという点からすれば、女子工員らの右供述は当時においても極めて証拠価値が低いものであつたといわざるをえない。

(2) 前掲<証拠>によれば、健士の捜査官および予審判事に対する自白の内容は本件第二審判決で認定された犯罪事実(請求原因1(二)のとおりであることは当事者間に争いがない)のとおりであつたと考えられる。そこでまず健士が捜査官に自白するに至つた経緯について検討すると、前掲甲第四号証によつて認められる本件再審判決における認定事実に、前掲<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

健士は、本件火災の翌日釜山警察署に逮捕されたが、これにつづいて前岡製綱、朝鮮製綱の幹部や社員、千代田火災海上保険株式会社大阪支店の社員らが次々と逮捕され、焼失した工場が火災保険料を一回支払つたのみの状態であり、かつ火災後会社幹部と保険会社の社員らが、温泉旅館に同宿した事実があつたことから、保険金詐欺放火の容疑をかけられほとんど全員が三〇日ないし六〇日間拘束された。健士は後手に縛られて天井につり上げられる等の拷問をうけて追及されたが、身に覚えのないこととて犯行を否認していたけれども、拘束されていた他の者が皆釈放されて健士がただ一人になつてしまい、なお厳しい追及をうけるのではないかとの恐怖心から、仮りに警察で嘘の自白をしても、公判で宣誓させられた時に真実を述べれば、これを覆すことができるものと思い、留置されてから五九日目に、遂に「小路に恨みがあつて放火した」旨嘘の自白をするに至り、翌日検事局に送られるや、検事に対しても同様自白し、さらに予審請求されて予審判事松田伝治の取調を受けた際にも同様自白したが、これらの自白は、健士において、検事局、予審が警察と一体のものであると考えたため、警察での自白を単に維持したに過ぎないものであり、釜山警察署の捜査官に対する最初の自白は、同捜査官らが行つた前示の拷問と長期間にわたる身体拘束による恐怖感からなされた、いわば同捜査官の強要による自白であつたというほかはない。

また、前掲<証拠>によれば、小路および健士の上司である毛利一男、岩田祥一が再審開始決定前の証人として、さらに健士の同僚であつた小西田之助が再審の証人として、いずれも健士と小路とが平素から折合が悪いということがなかつた旨証言し、出勤簿の取扱の変更についても、右毛利証人がそのような事実の有無については確知していないが、仮りにそのようなことがあつたとしても健士の威信を傷つける等それはとくに重視される事柄でなく、反感の原因となることではないと証言し、右小西証人は、出勤簿の取扱の変更をしたことはなく、同人と健士が点検した後人事係長の坪金亀太郎らに引き継いで連絡をしていたものであつて、健士が女工に対する面目を傷つけられるようなことは考えられないと証言したことが認められ、前掲<証拠>によれば、健士が本件火災当夜、翌日の日本帆布と朝鮮製綱の職工合同運動会の準備をしていたところ、小路から「自分は帰るから工場へ行つてくれ。こんなところに幹部が残つてするのはいかん。」と注意されたこと(したがつて右の注意は強い調子でいわれたものではないことがうかがわれる)が認められ、右各認定に反する証拠は存しない。

右各事実を総合して考えてみると、結局本件放火の動機は健士の創作であるというべきであり、健士の自白する動機に符合する関係人の捜査官に対する供述調書が仮りにあつたとしても、それは捜査官が右自白を裏付けるために誇張した表現内容をもつて作成したものであり、右関係人の予審判事に対する供述調書も捜査官に対する供述調書を下敷としてそれを上塗りする形で作成されたものと推認せざるをえない。

以上の点からみると本件第二審判決に関与した裁判官は健士の身柄拘束が六〇日に及んだことを考慮し、その自白に一応疑いを抱き、同人の弁解を慎重に検討しなければならなかつた。そうすれば自ずから健士の自白に至る右のような経緯が明らかとなり、したがつてまた動機の点に関する関係人の供述の内容も検討しなおさなければならず、旧刑事訴訟法一八九条一項にもとづき、これらの公判廷での証言を求めるべきこととなり、これを行えば健士と小路との確執は存在しないか、または仮りに存在したとしてもさほど深刻ではなく、したがつて放火の動機は存在しないか、または極めて薄弱なものであることが明らかになつたであろうと思われる。

また仮りに健士と小路との間に何らかの確執があつたとしても、小路に対する恨みを晴らすには本件放火は極めて不合理な方法であつたといわざるをえない。

即ち、前掲<証拠>によつて認められる本件再審判決における認定事実に、前掲<証拠>を総合すると、本件火災の出火点は朝鮮製綱の建物のうち日本帆布に最も遠い個所であり、かつ朝鮮製綱の工場建物は厚さ約三〇センチメートル高さ四、五メートルもある煉瓦壁で囲繞され、日本帆布の工場建物、事務所、社宅とは右の煉瓦壁を隔てているので類焼のおそれは殆んどなく、現に、本件火災は朝鮮製綱の工場建物内にあつた油のドラム缶が多量に爆発してその火勢が強く、同会社工場建物は周囲の煉瓦壁のみを残して全焼したにも拘らず、日本帆布の工場建物は板壁のごく一部が燻焼した程度で類焼を免れ、事務所、社宅も全く類焼を免れたことが認められる。右事実によれば日本帆布の責任者(前記甲第六号証によれば工場長ではなく職長のような立場であつた)であつて朝鮮製綱には関係のない小路を失脚させる目的からいえば、日本帆布に類焼する危険のほとんどない朝鮮製綱の工場、しかも日本帆布に最も遠い地点に放火することは不適当、かつ不合理な方法であるうえ、右各証拠によれば、仮りに火勢が煉瓦壁を越えて日本帆布工場に及ぶとすれば、同工場は勿論事務所およびこれと棟を同じくする健士、岩田祥一、坪金亀太郎、小川喜一郎、小西祥進らの各家族の居住する社宅並びに独身社員の寮も焼失することとなり、しかも健士は家財持出等火災に対する準備を全然しておらず、出火の時刻には健士の家族は既に就寝しており、日本帆布では多数の女子工員らが作業中であつた事実が認められるから、この場合も小路を失脚させる目的からいえば本件放火は健士自身およびその家族、並びに他の社員等に及ぼす犠牲が大きすぎ甚だ不適当かつ不合理な方法といわざるをえない(なお原告タツエの本件火災当日健士と夫婦喧嘩した旨の予審判事に対する供述調書が本件第二審判決の証拠として提出されたことは当事者間に争いがないが、右夫婦喧嘩の事実をもつて健士が放火による家族への犠牲を顧みなかつたことに結びつけるのは飛躍がありすぎるように思われる)。

これらの点は当時存在した証拠を慎重に検討すれば充分明らかにされえたはずである。

以上によれば、本件第二審判決を担当した裁判官は、前示女子工員らの証拠価値の低い供述を過大評価し、かつ健士の自白に至る経緯を調べ、犯行の動機につき、健士の上司同僚等の関係者を充分に取調べて誤判なきようにすべきであるのにかかわらず、これを怠り、また犯行の目的に照しその手段が甚だ不適当かつ不合理であることが当時の証拠によつても明らかであつたにもかかわらず、これを看過し、自由心証の範囲を逸脱したのであるから、その職務を行うにつき注意義務を怠つた過失があるといわざるをえない。

(二)  本件上告審判決に関与した裁判官の過失

また本件上告審判決に関与した裁判官は上告趣意書、弁護人の弁論、予審調書、第一、二審の公判調書および各証拠を慎重に検討すれば、本件第二審判決に前示のような証拠についての評価の誤り、審理の不尽があり、かつそれが旧刑事訴訟法第四一四条の「重大ナル事実ノ誤認アルコトヲ疑フニ足ルヘキ顕著ナル事由アルトキ」に該当することが明らかになるにもかかわらず、右検討を尽さないで上告棄却の判決をし、本件第二審判決を確定させたのであるから、その職務を行うについて注意義務を怠つた過失があるといわざるをえない。

三健士およびタツエは、本件再審判決の確定により、客観的に違法であつたことが確定された本件第二審判決に関与した裁判官および本件上告審判決に関与した裁判官の共同過失により、後記認定のような損害を被つたものであるが、右各判決は国の公権力の行使に当る公務員の行為であるから、以下においては本件に国家賠償法の適用があるかどうかの点について検討を加える。国家賠償法は昭和二二年一〇月二七日に公布され、即日施行されたが、同法附則六項には「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と規定されている。

ところろで、同法は憲法一七条にもとづいて制定されたもので、憲法一七条は、国又は公共団体の機関として、その公権力を行使する職務権限を有する公務員が、右権限を行使するにあたり行なつた違法行為により損害を受けた者が、法律の定めるところに従い、その公務員所属の国又は公共団体に対し損害の賠償を求めることができる旨規定しているのであるが、右規定は、国王ないし国家は悪をなさずとの理念に立脚し、古くから是認されてきた国家無責任の考え方を、基本的人権をより一層重視する新憲法の下において不当であるとし、国家の社会的実在性と、国家の公権力(公共団体の公権力も帰するところは国家の公権力である)の行使に内包される社会的危険性の存在を認め、違法に公権力を行使した公務員の行為を、国又は公共団体自らか行つた違法行為とみて、これによる損害を国又は公共団体自らが賠償すべき旨を規定したものと解すべきである。そして、この見解からいえば、客観的に公務員の行為が違法であると認められるときは、そのすべての場合について国又は公共団体が賠償責任を負うことにすべきであるが、憲法は種々の立法政策上の見地から、国又は公共団体が右責任を負うべき違法行為の範囲を、法律をもつて限定しうることにしたものであり、かくしてその要件を国家賠償法一条一項により、公務員が「その職務を行うについて、故意又は過失により」行つた行為に限定したものであると解すべきである。いいかえると、公務員の違法行為のうち公務員が国又は公共団体の機関として公権力を行使するにあたり、故意又は過失により他人に損害を加えた場合に限り、当該国又は公共団体が自ら損害賠償責任を負う反面、右要件を欠く場合には、たとい公務員の違法行為がなされた場合にも、国又は公共団体が損害賠償責任を負わないことにしたものである。そして、例えば、国家機関として裁判権を行使する判事が、故意又は過失により誤つて有罪判決を言渡し、これが確定した後、右判決の執行機関たる行刑機関が刑の執行として被告人を拘置した場合、後者の公権力(刑罰執行権)の行使は、確定判決の執行として法律の命ずるところに従つて行なわれたもので、それ自体だけをみれば違法ということができないにしても、これを刑罰権の実行という点からみれば、国家が故意又は過失により違法に有罪判決をし、かつこれが執行をして違法に刑罰権の行使を実現したものといわねばならないのである。

前掲国家賠償法附則六項の規定も、立法政策上の要請ないし法律不遡及の原則から設けられたものであり、同法施行前の行為による損害については同法の適用がなく、従前どおり国又は公共団体が賠償責任を追求されることがないといわねばならず、従つて、同法施行前に前示のような誤つた有罪判決が言渡され確定してその刑の執行がなされ、これが同法施行後に及んだ場合においては、国に対し、施行前の行為による損害賠償を求め得ないにしても、施行後の行為(刑の執行)による損害については、その賠償を請求し得るといわねばならない。

これを本件についてみるに、健士に対する本件第二審判決および上告審判決の言渡し、ならびにその刑の執行の一部は国家賠償法施行前であるが、健士は同法施行後も昭和二二年一一月二四日に仮釈放されるまで、二九日間態本刑務所で服役し、昭和三二年一〇月二五日、刑期満了によつてその刑の執行を受け終つたのであり、国家の刑罰権実現のための行為が同法施行後に及んでいることが明らかである。そして、健士および原告タツエは、後記のとおり同法施行後も、違法になされた本件第二審判決および上告審判決ならびにこれが執行としてなされた拘置等により損害を受け続けていたのであつて、同法施行後の刑の執行により蒙つた損害については、同法の適用により国に対しその賠償を求め得ることは、前説示により明らかである。

四被告は、仮に被告に損害賠償責任があるとしても、原告らの損害賠償債権は、本件上告審判決が言渡された日から二〇年を経過した昭和三七年一〇月二六日に、除斥期間満了により消滅したと抗争するので判断する。

国家賠償法四条により国の損害賠償責任については、民法七二四条後段の適用があり、不法行為の時より二〇年の除斥期間を経過することにより消滅するわけである。そして除斤期間は権利の行使を限定する期限であり、権利の速やかに行使されることを意図して設けられたものと解せられるところ本件上告審判決言渡日が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがないけれども、本件不法行為が右判決言渡によつて終了したものではなく、刑期満了時たる昭和三二年一〇月二五日まで(仮釈放後においては損害の発生が著しく減少したにしても、不法行為はなお刑期満了日までけいぞくしているとみるべきである)けいぞくしていたといわねばならないから、被告の抗弁を採用し得ない。のみならず、一般に無実の罪により有罪の確定判決をうけた者が、再審による無罪判決が確定しない間に、有罪判決に関与した裁判官の誤判に関する過失を理由として国家賠償請求ができるかどうかの問題については、当事者が同一であるため有罪判決の実質的確定力によつて法律的に有罪判決の違法性を主張しえないし、また右の場合に国家賠償請求を認めることは、民事訴訟手続によつて、確定された刑事判決の判定自体を覆し、実質的に刑事訴訟手続きで認められていない方法によつて、刑事判決を争いうる方途を認めることになるから、いずれにしても右の場合には、国家賠償請求は法律的に許されないといわなければならないのであつて、このような状態にある時は、除斥期間を設けた趣旨に鑑み、再審による無罪判決が確定するまで国家賠償請求権の除斥期間が進行しえない状態にあると解すべきであるところ、本件においては、再審判決が確定したのは昭和四五年二月三日であり、本訴の訴状送達の日は記録上昭和四六年二月二日であるから、本件国家賠償請求権に関しては、除斥期間は満了していないことが明らかである。

五そこで以下においては、健士および原告タツエが、本件第二審判決、本件上告審判決およびこれに基づく刑の執行により、国家賠償法施行以後被つた損害について検討する。

1  健士の損害

健士は、前示のとおり、国家賠償法施行後も熊本刑務所で服役し、昭和二二年一一月二四日に仮釈放されるまで二九日間その自由を剥奪されており、昭和三二年一〇月二五日刑期満了によつて、その刑の執行を受け終つたのであるが、無実の罪で有罪の確定判決を受け、その刑の執行により自由を拘束されたことによる肉体的、精神的苦痛はもとよりのこと、仮釈放後においても、本件再審判決による無罪が宣言されるまでの期間、名誉を傷つけられたことによる精神的苦痛を受けたであろうことは、次に認定する事実からも容易に推認できる。

即ち、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ右認定に反する証拠は存しない。

健士は仮釈放後、自己の寃罪を晴らしたいとの一念から、自宅付近の電柱等に無実を訴えるビラを貼り、あるいは毎朝近所の氏神に願をかけるため朝参りをし、また福岡高等裁判所、最高検察庁、外務省大阪連絡所等に手紙を出すなどして無実を訴えたが、いずれも不適法な書面として取上げられなかつた。ところが旧京城高等法院検事長水野重功、前記元予審判事松田伝治らに手紙を出して協力を求めたところろ、松田からの返信で、中国人が本件放火と同一事実で起訴されていたことが明らかとなり、弁護士岩田喜好の協力を得て調査の結果、昭和一八年一二月頃中国人于文柱が本件放火の事実を含めて釜山地方法院に起訴され、予審判事松田が右事実につき有罪の予審終結決定をして公判に付したが、終戦のためその後の処理が不明であるとの事実が判明し、その後請求原因1(四)の経過を経て本件再審判決が確定した(前示のとおり、請求原因1(四)の事実は当事者間に争いがない)けれども、余生を充分に楽しむ暇もなくその後一年余を経過した昭和四六年五月四日、永く暗かつた服役生活と、仮出所後も無実の罪を晴らすための目的にのみ費された生涯を閉じたことが認められる(健士が同日死亡したことは当事者間に争いがない)。

右各事実を考慮すると、健士の右精神的苦痛を慰謝する金額としては、健士が昭和四五年三月一六日大阪高等裁判所において補償金二二四万四〇〇〇円を支給する旨の刑事補償決定をうけたこと(当事者間に争いがない)を斟酌しても金三〇〇万円をもつて相当とする。

2  原告タツエの損害

夫婦は同居し相互に協力扶助し合うことによつて幸せがあり意義を有するのであるが、原告タツエは健士の服役により長期間別離を余儀なくされたことによつて精神的苦痛を味わつたのであつて、国家賠償法施行後も健士が仮釈放されるまでの約一ケ月間右のような状態にあつたのみならず、健士が服役していたことにより、世間に対し肩身の狭い思いをしつづけ、これにより甚大なる精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推認されるところである。また<証拠>によれば原告タツエは国家賠償法施行後も女手一つで、ついで原告潔が成長してからは同人の協力も得、給食炊事婦などをして働きかろうじて一家の生活を支え、健士の仮釈放後においても同人が寃罪を晴したいとの一念から家庭を顧みないで奔走していたため、同人を頼りにすることができない状態であり、本件再審判決が確定するまでの精神的苦痛はまことに大きかつたと認められる。

右事実を考慮すると原告タツエの右精神的苦痛を慰謝する金額としては金五〇万円をもつて相当とする。

3  健士の損害の承継

健士は昭和四六年五月四日死亡し、原告タツエが健士の妻として、同竹腰みよ子、同潔、同勇、同美喜枝、同吉雄らが健士の子として(<証拠>によれば同竹腰みよ子は健士が原告タツエと婚姻す前の離婚した妻との間の子であること前掲<証拠>によれば、同吉雄が健士の子であることがそれぞれ認められる)、健士の被告に対する金三〇〇万円の慰謝料請求権のうち、原告タツエが三分の一にあたる金一〇〇万円を、その余の原告らは右金三〇〇万円のうち各一五分の二にあたる金四〇万円をそれぞれ相続したことになる。

六そうすると、被告に対し、原タツエは自己固有の債権の相続債権の合計金一五〇万円、その余の原告四名はそれぞれ相続債権金四〇万円ずつ、およびこれに対する本件不法行為の日以降であることが明らかな昭和四五年二月一三日から完済まで、民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める債権があるわけであるから、これが支払を求める原告らの本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負住につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(下出義明 藤井正雄 石井彦寿)

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